「波佐見焼」

「波佐見焼」

波佐見町は長崎県のほぼ中央に位置する自然豊かな町です。
北部は「有田焼」で知られる佐賀県有田町に接しています。
有田町のさらに北部には、「伊万里焼」で有名な伊万里町があり、
この地域一帯が焼き物の産地として発展してきたことがうかがえます。

 

(波佐見町歴史文化交流館 HP参照)

 

波佐見焼の歴史は1590年代頃に始まったとされており、

1650年代に波佐見焼の歴史にとって大きな転機が訪れます。

海外に食器を輸出していた中国で内乱が起こり、輸出を禁じた「海禁令」が出されたことで、日本の焼き物が注目を浴びるようになったのです。

波佐見でも青磁や染付の食器が大量生産され、主に東南アジアに向けて輸出されました。

しかし、その後中国の内乱がおさまると同時に海外向けの需要は減っていき、波佐見焼は国内向けに生産されるようになります。

国内向けに大量生産された波佐見焼は、安価で手に入りやすかったため、庶民が使う日用食器として全国に広まります。
そして人々の生活スタイルや流行、時代の雰囲気などに合わせてデザインが変わっていき、昭和53年に伝統工芸品の指定を受けました。

 

(波佐見町歴史文化交流館 HP参照)

 

陶磁器は職人が一からつくりあげるため、高級品として扱われていましたが、波佐見焼は型や生地などを複数の工房で生産する分業制を用いてきました。

そのため大量生産が可能となり、従来の陶磁器の中で販売価格を抑えられるようになったのです。

大量生産が可能になっただけでなく、各工房でそれぞれの技術を特化させられるようになったため、高品質な商品の開発に成功しました。


現在の波佐見焼は、鉄分やチタンの含有量が少ない天草陶石を原料として作られています。
有田焼は繊細で華やかな絵付け、九谷焼は赤や黄、緑、紫、紺青の五彩と言われる彩法などが有名です。しかしながら、波佐見焼には一部の方から特徴がないとも言われるように、共通の特徴がないのが波佐見焼の良さと受け入れられています。天草陶石を使った磁器の焼き上がりの色は白いのですが、枠にとらわれない波佐見焼らしく、釉薬でカラフルに色付けされたものなど、さまざまなタイプの食器が作られています。
時代の流行に柔軟に対応でき、自由な発想を取り入れられる焼き物であること、丈夫で軽いというということがどの世代の人にも愛される理由となっているようです。

ConTenna看板商品のハサミポーセリンはシンプルな形とシックなカラーでとても人気があります。

京千(sen)の商品はアクセントとなる色味が使われていたり、個々の焼き目の違いなどがありお気に入りを選択する楽しさがあります。

時代とともに変化しかたち作られた、これらの波佐見焼をぜひ店頭で手に取ってみてください。

今後も変わりゆく波佐見焼のかたちも楽しみです。